昨日の記事で「この記事がブローガスト最後の記事になると思います」と書いていたな?
あれは嘘だ。
ここまできたら31日間更新にしちまおうぜ!の気持ちでもうひと記事何か書こうかと思って書いています。
まとまりのない書き散らし。よければお付き合いください。
webに書く、ということ
ブローガストに参加している方々の記事やらその反応やらを見ていると「ブログって、もっと役に立つ話をしなくちゃいけないと思ってた」という意見がちらほらと散見された。
そうなんだよな、と思う。
いつも忘れてしまうのだが、元々本サイト「kyrie.」も、Blueskyの文字数に入りきれない内容を置いておく倉庫みたいな感じで始まった書き散らし用のブログだった。
でも、いつしか何か記事を書く時には「自分のプライベートなことや誰の役に立つわけでもない"お気持ち"を書いてもな……」という気持ちが勝ってしまう。
今年はじめにkyrieの方で書いていた三行日記とかもそうだ。
「これ、このサイトに載せるべき記事か?」みたいな自問自答があり、区切りのよいところで途中でやめてしまった。
そしてそのログも、こちらの方に移動させている。(thinkingフォルダにアーカイブしてある)
でも、本来ブログというやつは書きたいものを書けばよいのであって、それが誰かの役に立つかどうかなんてことは書き手は気にしなくてもよいのだ。
それを読むかどうかは読者が決める。そのくらいのスタンスでいいと個人的には思うのだ。
かつてのTwitter黎明期において、「何でもないことでも好きなことを書く」場所だったブログとブロガーたちは、「金を稼げる役に立つ記事」を書くアフィブロガーの登場によって行き場を失い、mixiを経てTwitterにたどり着いたように思う。
「ほかてら〜」「〇〇なう」などというマジでそこら辺のチラシ裏に書いて捨ててもいいようなことを投稿していたのだが、それによってゆるくつながっている交流も含めてTwitterの良さであって、自サイト、ブログというものがかつて持っていた初心に立ち返らされる体験であったのではないかとも思う。
そしてTwitterが失われた(Xという別物のナニカになってしまった)今、その体験に立ち返ることで、書きたいものを自由に書ける場所としてのブログへと回帰していけるのだ。
AIが書いた記事の価値はあなたの書いた文章の価値を上回らない
この話題は何度でも繰り返し蒸し返せばいいと思うのだが、内容を問わず、あなたの言葉はあなたにしか書けず、その時点で価値があるのだ。
そして、AIが登場したことによって、その価値は下がるどころか上がり続けているのだと思う。
なぜならAIが整った文章を生成するためには、その元となるwebに散らばる無数の(しかし有限の)「誰かが手ずから書いた記事」が必要になるからだ。
最近ではAIが文章の添削をするようになったが、その添削された文章ばかりがwebに増えると、さらにそれを取り込み学習したAIの文章が一定の傾向を持つようになっている、というニュースも見かけた。
多様性あってこその進化であり、そういう意味ではAIがAIのみでは多様性も進化もできないことの証左であるのかもしれない。
だから、どのような文章であったとしても、あなたという人間が書く、という価値は、今後ますます高まっていくだろう。
そして、無数に生成されたAIスロップ記事の中から、砂金のようにそれを探し出すための方法を、きっと誰かが発明する。
それは新しいSNSかもしれないし、広告ブロックならぬAIブロックが出来るブラウザかプラグインかもしれない。あるいは個人が積み上げた宝箱みたいなRSSフィードかもしれない。
そうやって、将来のwebは一見開かれた場所でありながら、本当に価値あるものに触れるためには、アングラなところまで潜っていかなければならない原初のインターネットへと立ち返っていくのかもしれない。
ブログという名の"とまり木"を
ブローガストを通じて多くの人が振り返っていたことでもあるが、自分の文章を読み、またそれが読まれ、自分も他の人の文章を読む(そして新しい記事の更新を待ち焦がれる)という一種のコミュニケーションは、短文SNSによって失われたかつての「遅いインターネット」にあった最大の良さであるように思う。
SNSが生み出したタイムラインというシステムは、これまでとは比べものにならない速度で流れ続ける短文投稿を概覧するための苦肉の策だったはずだ。
本来読みたいものを選び、そこにいけばいつでも読み返せるという、それぞれのブログとアンテナサイトのような(あるいはRSSやブックマークによる)つながりは、濁流のようなタイムラインによって上書きされ、私たちは忙しなく電撃のようなコミュニケーションに夢中になった。
でもそれはきっと、私たちの生きる速度としては速すぎたのかもしれない。
その瞬間にしか意味をなさない文脈とコンテンツとしての短文ではなく、じっくりと練られた言葉で、ある時間の範囲を切り取るような──あるいはいつ読んでも良いという形で書かれた──「ブログ」の記事は、この速度が上がりすぎた現代における、停留所のような趣がある。
SNSにおけるバズりのような、濁流のなかできらめく一瞬の光の反射でありたいと願う人もいるだろうが、一方で飛び続けるのに疲れた鳥のように、とまり木を求める人もいるだろう。
自分のブログやサイトというのはきっとそういう、「羽休め」の場所であってもよいと思うし、そういう意味では必ずしも「役に立つ内容でなければならない」ということはないのだ。
あなたの中にSNSでは書ききれない思いがあるのなら、書きたいだけ書きたいものを書く、ということを一度でもやってみるのがよいと思う。
きっと、書きたいことがあるという熱意が自由になれる、かけがえのない場所が見つかるはずだ。
今度こそブローガスト最終記事です!
皆様お疲れ様でした!